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東京地方裁判所 昭和45年(ワ)9952号 判決 1974年4月15日

原告(反訴被告)

財団法人芸備協会

右代表者

東谷伝次郎

右訴訟代理人

池田浩三

助川武夫

被告

小原一登

外一五名

被告(反訴原告)

井上文明

外三名

被告二〇名訴訟代理人

斉藤驍

久保田康史

主文

一  被告ら(反訴原告らを含む。)は原告に対し、別紙物件目録記載の建物を明渡せ。

二  反訴原告らの反訴請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は本訴、反訴を通じて全部被告ら(反訴原告らを含む。)の負担とする。

四  この判決の第一項は仮に執行することができる。

事実《省略》

理由

一原告が育英事業を目的とする財団法人であつて、右事業の一環として、広島県よりその所有の本件建物を使用借りしたうえ、修道館の名称のもとに広島県出身の在京学生を対象とする寄宿事業を営んでいることは当事者間に争いがない。

二また、原告が被告らのうち、小原一登、川西憲二、永岡正美、西村良彦の旧館生四名との間で旧建物につき入館契約を締結していたこと、右四名に対し本件建物への入館を許可し、昭和四三年九月頃これに入居させたこと、右旧館生らが昭和四三年九月九日頃から昭和四四年四月頃までの間にその余の被告らすなわち新館生らを本件建物に入居させたこと、爾来被告らが本件建物を占有使用していることはいずれも当事者間に争いがない。

そして、<証拠略>を総合すれば次の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

(一)  修道館の起源は、明治二〇年代に広島県出身の学生が共同して家屋を借受け、自発的に共同生活を営んだことにあり、その後原告財団法人芸備協会が設立されて修道館の管理運営を担うことなつたが、原告は修道館発足の経緯に鑑み、その運営に当つては広く館生の自治を尊重し、館内における共同生活については全面的に館生の自律に委ねたほか、入館者の選考決定についても広く館生の関与を認めていたものであつて、戦前における入館者選考手続は、大正六年館生自身によつて制定された修道館規約に則つて行なわれ、館生を通じて入館希望者を募り、応募者につき、館生のうちから選出された整理委員による予備選考を経た後、館生全員により組織された館生協議会にはかつてその賛否を問い、なお右選考結果につき原告理事の承諾を求め、これによつて最終的に入館の許否を決する建前であつたが、館生協議会の選考通過者につき原告理事が入館を拒否する例は極めて稀であつたこと。

(二)  戦前の修道館の建物が戦災で焼失したため、原告は戦後旧建物およびその敷地を入手し、これを使用して修道館の運営を継続したが、なお館生の自治を尊重する方針を維持し、昭和二四年に制定された修道館管理規定(甲第二号証)すなわち旧規定においても、入館者の選考手続につき、原告が広島県に縁故のある学生生徒のなかから入館希望者を募集するが、応募者に対しては、館生協議会の審査を経た後原告が入館の許否を決定する旨定めており(旧規定第三条、第四条)、実際の運用においては、入館希望者の募集を館生に委ねているうえ、館生協議会の選考通過者に対する原告理事の面接も極めて形式的なものとどまり、右選考通過者につき原告理事が入館を拒否した例は近年皆無であること。

(三)  旧建物は原告の入手当時からすでに老朽化しており、その後改築の必要があつたため、原告は、当初自ら寄付金を募つて新建物を建築する計画を樹てたけれども、募金の目途がたたず、結局広島県にその出捐により新建物を建築してもらい、同県よりこれを無償で借受けたうえ学生寮として運営することに計画を変更し、同県に右計画を提示したところ、同県はこれを承諾し、昭和四三年九月の県議会で予算措置を講じたので、原告理事はその頃前記旧館生四名を含む当時の在館生らに対し、右の計画を説明したうえ、旧建物取壊しのため退去を求めるとともに、新建物完成後も新たな選考手続を経ることなく右在館生らを入館させることおよび従前どおり館生の自治を尊重する方針であることを約し、在館生らはこれを了承して旧建物から退去し、原告が他から借上げた仮宿舎に移転したこと。

(四)  その後旧建物が取壊されて、その跡地に本件建物の建築工事が開始されたが、右建築工事の進行にともなつて昭和四三年四月頃から原告と広島県との間で本件建物の貸借に関する話合いが進められ、その過程で右貸借契約書中に原告が広島県の承諾のもとに入館資格、入館者選考手続、入館者の負担その他館の管理に関する事項等を内容とする新たな管理規程を制定するとの条項が設けられることとなつたため、原告理事は新たな管理規程の制定につき、一部の館友(もと修道館生であつた者)および館生らに説明したところ、館友はこれを了承したものの、館生らは、館生協議会を開いて検討した結果、新管理規程の制定なかんずく原告理事が直接入館者選考手続を行なう旨の条項を設けることには反対であつて、従前どおり館生協議会による選考を認めるべきであるとの意見をまとめ、一部館生を通じてその旨原告理事に伝えたが、原告理事は、広島県の財産である本件建物を借受ける以上、館生の入館、退館等につき原告の管理責任を明確にする必要があること、また原告の育英事業の目的にかなう学生を選考するには、入館申込書に家庭の資産状況を記入させるほか、出身高校長の推薦書、成績証明書を添付させる必要があるところ、これらは個人の秘密にかかる文書であるのでその取扱いを学生である館生らに委ねるのは不適当であることなどを考慮して、入館者選考手続は直接理事において行なうこととし、昭和四三年六月一八日の理事会決議により既定方針どおりの内容による広島県学生寮修道館管理規程(甲第三号証)すなわち新規程を制定したこと。

(五)  旧館生らは、前示のとおり新管理規程の制定に反対である旨の意見を原告理事に伝えた後も度々館生協議会を開いて善後策につき検討を重ねる一方、原告理事との交渉を続けたが、右交渉の経緯から原告理事がその方針を変更することは容易に期待できないと判断し、原告に館生協議会の入館者選考権限を認めさせる手段として独自に入館者の選考を行なうこととし、昭和四三年七月六、七日の両日館生協議会による選考を行なつたうえ、一四名の入館者を決定したこと(もつとも、そのうち七名は後述の昭和四三年九月九日までに入館を辞退した。)。

(六)  原告理事は、旧館生らに対し、昭和四三年七月二〇日過ぎ頃新規程を交付し、次いで同月二二日新規程にもとづく入館申込書および新規程を遵守する旨の誓約文言を含む誓約書の用紙を提示して、本件建物への入居を希望する場合は右申込書および誓約書に必要事項を記載して提出するよう求めたところ、旧館生らは旧建物退去時における原告理事の口約束を楯に一旦これを拒否したけれども、右各書類の提出に応じない限り本件建物への入居を認めないとの原告理事側の意向が明らかにされたため、ひとまず右各用紙を持ち帰り、館生協議会を開いて検討した結果、今後とも館生協議会による入館者選考手続を認めるような原告理事に要求を続けてゆくが、本件建物へ入居しないことには館生らの生活が成り立たないので、右入館のための方便として前記各書類を提出することもやむを得ないとの方針を固め、右方針に賛同できず入館希望をとりやめた一名を除く在館生一六名全員の書類を昭和四三年八月末頃原告に提出し、原告はこれを受理したうえ、その頃右一六名の入館を許可したこと。なお館生らは使用料として一ケ月二千円を支払う約定であり、原告は右使用料をもつて光熱費、水道料および冬期暖房用の白灯油代を賄う計画であるが、若干の不足が見込まれるため、この不足分は原告の基金で補充する意向であること。また完成後の本件建物の各居室は六畳の洋間に二段ベット、机、ロッカーが設備されているもので、それぞれ二名宛の居住が予定されているが、一方本件建物付近で学生用の下宿を求めるとすれば、六畳間で一ケ月八千円ないし一万円程度の賃料を支払う必要があること。

(七)  原告は、本件建物が完成した昭和四三年八月三〇日、広島県との間で本件建物につき使用貸借契約(甲第五号証)を締結してその引渡しを受け、同年九月八日旧館生らに現実の入居を許可したが、これに先立つて新規程にもとづき入館希望者を募集し、入館選考のための面接を同月九日本件建物で実施する予定であり、その旨応募者に通知していたので、原告理事は同月八日本件建物に入居した旧館生らに対し、右の予定を告げて翌日の面接の手伝いを依頼し、旧館生らの承諾を得たこと。そして翌九日原告の理事数名が右面接のため本件建物に赴いたところ、旧館生らは、面接の手伝いを依頼されたのを利用して、原告に館生協議会の入館者選考権限を認めさせる手段として、応募者に対し理事の面接に先立つて館生協議会による面接選考を行なう旨の方針を決めており、同日出頭した応募者五〇余名に対し、館生による選考の正当性を説いてこれに応ずるよう説得したうえ,館生らのうちから選出された選考委員六名による面接を開始したため、理事による面接は事実上不可能となつたこと。館生らは同日の選考によつて約二〇名の入館者を決定し、翌一〇日原告理事に対し、右入館決定者および先に入館の決定をした七名につき面接を求めたが、これを拒否されたので、同年九月中独自に右入館決定者を本件建物に入居させたこと。その後昭和四四年四月頃までの間、二、三回に亘つて館生の補充、交代が行なわれたが、この間新たに入館した者は各入館当時の在館生らの選考により入館を許可されたものであること。

(八)  昭和四三年九月九日以降、原告理事と館生ら(ただし、新たに入館した者を除く。)との間で、入館者選考権限の帰属および新館生らを含む新たな入館者の取扱いにつき、幾度か話合いの機会が持たれ、また館友有志によつて調停が試みられたこともあつたが、結局事態の収捨を見ることなく今日に至つていること。

右(三)ないし(六)の認定事実によれば、原告は従前旧館生四名との間で旧建物につき入館契約を締結していたが、昭和四三年中(三)で認定した計画にもとづき旧館生らに対し、旧建物からの退去を求めるとともに、本件建物への入居を約したうえ、その後に新規程を制定し、昭和四三年七月中旧館生らに対し、新規程にもとづく入館申込書および新規程を遵守する旨の誓約文言を含む誓約書の提出を求め、旧館生らは同年八月末頃その内心の意思はともかくとして一応右書類に応じこれによつて新規程を遵守することおよび使用料として一人当り一ケ月二千円を支払うことを約するにいつたものであるから、右の時点において原告と旧館生らとの間に本件建物に関する新たな入館契約が成立したものということができる。

また、前記(六)の認定事実によれば、右使用料は、館生らの光熱費、水道料および冬期暖戻費に充当される計画であるが、なお若干の不足が見込まれる程度の金額に過ぎず、そもそも建物使用の対価たる意義を有する部分を含まないものと考えられるうえ、それ自体も学生用の下宿の賃料に比較すればはるかに少額であると認められ、右使用料をもつて本件建物使用の対価と見ることは刻底困難であるから、原告と旧館生らとの間の右入館契約は使用貸借と認めるのが相当である。

三次に、館生らが本件建物につき入館者選考権限を有していたか否かにつき判断する。

前記認定事実を総合すれば、原告は、修道館の起源が学生らの自発的な共同生活にあつたことから、その運営に当り広く館生らの自治を尊重する方針をとり、旧建物については、旧規定上第一次的な人館者選考手続を館生協議会に許容していたうえ、現実の運用面においても自らは館生協議会の選考結果にもとづき極めて形式的な理事面接を行なつていたにとどまるものであつて、右運用のほぼ全般を館生らに委ねていたというも過言ではないけれども、なお最終的な入館許否の決定権限は自らこれを留保していたものと認めるのが相当であるし、他方本件建物については新規程上館生らに対し、入館者選考権限はもとより入館者選考手続に関与することさえも容認していないものと認められる。なお、原告がさきに旧館生らに対し本件建物への入居に関して言明した約束の趣旨も、前記(三)の認定事実にみられるとおりのものであつて、これを目して原告が旧館生らに対し、本件建物につき入館者選考権限を付与する旨約したものとみることは到底困難である。

ところで、被告らは、大学の自治の理念あるいは大学付属の学生寮における学生自治の慣行、さらには修道館における自治の伝統等を論拠として、館生らが入館者選考権限を有する旨主張するが、大学付属の学生寮においても、果して入寮許否の決定権限までも含む学生の自治が一般的慣行として確立しているといい得るか否か甚だ疑問であるばかりでなく、本件建物は広島県の県有財産として公共的色彩を有するものとはいえ、これを学生寮として運営管理するのは私的法人たる原告であるから、その運営管理の態様をいかなるものとするかは結局自由な私的契約関係の下に委ねられているものというほかはないのであつて、大学自治の理念もそこまでは及ばないものと解するのが相当であるから、右所論は採用の限りではない。

以上説示してきたところによつて明らかなとおり、新館生らが権限のない旧館生ら(または旧館生らを含む選考当時の在館生ら)による入館選考を経たからといつて、新館生らと原告との間に本件建物の入館契約が成立する余地はないものといわざるを得ない。

なお、被告らは、館生らに入館者選考権限を付与しない旨の新規程は、その内容および改正手続上の瑕疵を有し無効である旨主張する。

<証拠略>および前記認定事実を総合すれば、新規程は、館生らの入館者選考手続への関与を一切認めていないほか、運用いかんによつては館生らの館内における共同生活に干渉する根拠ともなりかねない条項を含んでおり、また旧規定上、原告が規定の改正その他修道館の運営に関する重要事項を理事会に付議する場合には、理事会に館友および館生の代表者各三名以内の出席を求めてその意見を徴する建前であつたが、新規程の制定に当つては右の手続を履践しなかつたことが認められる。

しかしながら、新規程の内容を仔細に検討してみても、それ自体を直ちに無効としなければならないほど著しく不合理な条項を含むものとは到底認められない。また、旧規定上も理事会が館友および館生の代表者の意見に拘束されるものでないことはその文言自体から明白であるうえ、<証拠略>によれば、原告は従前、修道館の運営方針を変更するような場合にも、理事会の席上に館友および館生の代表者の出席を求めた例はなく、適宜の機会を把えて事実上館友および館生の意見を徴してきたにすぎず、新規程の制定に当つても右同様の方法によつたことが認められる。加えて前記認定事実によれば、原告が新規程を制定したのは、本件建物の所有管理の形態が旧建物当時とは変つたため、原告の管理運営上の責任にも差異を生ずるに至つたことおよび原告の育英事業をさらに充実させるため、入館者の選考基準をより適正なものとする必要があつたこと等の理由にもとづくものと認められる。したがつて、原告が新規程の制定に当り、旧規定所定の改正手続を履践しなかつたことは、新規程の制定に無効を来たすほどの重大な手続上の瑕疵とは考えられない。

また、旧館生らはさきに認定したとおり、本件建物に入居するに先立ち、原告に対し新規程を遵守する旨誓約したものであるから、新規程の制定が原告と旧館生らとの間の入館契約の内容を一方的に変更しようとするものであるとの被告らの主張は失当である。

四進んで、原告と旧館生四名との間の入館契約の解除につき判断する。

原告が昭和四四年四月一六日到達の書面をもつて旧館生らに対し、本件建物の入館契約を解除する旨の意思表示をしたことは当事者間に争いがなく、旧館生らが正当な権限もないのに昭和四三年九月九日以降昭和四四年四月頃までの間に新館生らを本件建物に入居させ、爾来これを占有使用させてきたことは前述のとおりである。

もつとも、旧館生らは旧建物当時事実上入館者選考手続の全般を委ねられていたに近い状態であり、しかも旧建物から退去する際に原告理事から本件建物の完成後も従前どおり館生の自治を尊重する旨の約束を取り付けていたにもかかわらず、原告はその後、館生らの入館者選考手続への関与を一切認めないことのほか、何かと館生らの共同生活に対する制約を予想させる趣旨の条項を含む新規程を制定し、旧館生らに対しその遵守を要求するにいたつたものであることもまた前に認定したとおりであつて、旧館生らがこれに反撥し、ついには原告の許諾を得ないまま新館生らを本件建物へ入居させるにいたつたことについては、同情される一面がないでもない。

しかしながら、翻つて、原告が新規程を制定したことにはそれ相当の理由があつたわけであるし、旧館生らとしても本件建物に入居するに当りひとまず新規程を遵守する旨誓約したのであるから、いかに館生らの入館者選考権限を原告に認めさせる手段であつたとはいえ、旧館生らが正当な権限もないのに新館生らを本件建物に入居させたうえ、長期間に亘つてこれを占有使用させ、よつて原告の本件建物に対する管理権の行使を不当に妨げた所為は、その態様において著しく相当性に欠けるものであつて、原告と旧館生らとの間の本件建物の入館契約(これが使用貸借の実質を有するものであることは前示のとおりである。)の継続を不可能または著しく困難ならしめる背信行為といわざるを得ない。

したがつて、右入館契約は、原告の契約解除の意思表示が旧館生らに到達した昭和四四年四月一六日をもつて解除されたことになる。

五以上の次第であつて、原告が旧館生らに対しては入館契約の終了にもとづき、また新館生らに対しては本件建物の所有権者である広島県に代位して、それぞれ本件建物の明渡しを求める本訴各請求は全て理由があるから認容し、反訴原告らが原告との間で本件建物につき占有権限を有することの確認を求める反訴請求(請求としての特定が必らずしも十分ではないと考えられるが、この点についてはとくに判断しない。)はいずれも理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九三条、仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(中村修三 黒田直行 安倉孝弘)

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